映画『ガンジスに還る』

神保町の岩波ホールで映画「ガンジスに還る」を観てまいりました。

まず、驚いたのがこの映画の脚本・監督が1991年の生まれ、27歳でこの映画を撮ったということです。

監督はインド・コルカタ生まれ。インドの小さなヒマラヤの街で育ち、ウッドストック・スクールに通い演技を学ぶが、演技より脚本や演出に興味を持ちはじめ、2013年からニューヨークで映画製作を学びます。

2014年にはアカデミー賞短編映画部門にも選出されています。企画の始まりは、「インドを再発見したい」「見たことのない土地を訪れたい」「自分を見つめ直したい」という好奇心からだとインタビューに答えています。

4ヶ月かけてインドを南から北へと旅を続け、最後の土地が映画の舞台となる”バナラシ”だったそうです。そこは「死を迎えるためのホテル」があることを事前に聞いていたので訪ね、ホテルの従業員、火葬場で薪を売る人たちなど様々な人から話しを聞き構想が膨らみ1年半かけてリサーチをしたそうです。

この若さで「死」をテーマとした映画、しかもユーモアもあり、死を待つ人が心の準備をし、現代社会・・・つまりよく言われるインドのエキドチックな世界ではなくごく日常を描けたのか・・・が驚きです。世界のどこにでもいる家族の物語です。

ある町の中流家庭でお爺ちゃんが突然、夢で自分の死を予感したからバラナシに行くといいだします。仕事盛りの忙しい息子夫婦、孫娘たちは、「お爺ちゃんはまだまだ元気なのに」と大反対しますが、聞きません。

息子は会社の仕事も忙しいのに仕方なくスマホを持ち「解脱の家」へと向かいます。そこは医療設備がなく、掃除、食事、も自分で。粗末な部屋を見た息子は帰宅をうながすのですが聞かない。

15日しか滞在できない決まりですが・・・しかしそこに18年も住んでいる未亡人がいたり、川で洗濯をする息子に書き物をしながら「挫折を人のせいにするな」など元気。熱をだし、死を覚悟するものの翌朝はケロリと回復。わだかまりのある父と息子は、ガンジスのほとりで一緒に過ごし、お互いを少しづつ知っていきます。人生最後に理解し合うのですが、このよくあるストーリーも構成が巧みなので、引き込まれます。

監督は「ちょうど僕の祖父は自分の老いを感じ始めて、今までの人生見つめ直しているようでした。そんな祖父をみながら、同時に、語り継がれてきた伝統と現代の生活にある溝を感じていました」と語っています。

映画の舞台となっている「バラナシ」は三島由紀夫『豊饒の海』、遠藤周作『深い河』沢木耕太郎『深夜特急』などの舞台にもなっていることで有名です。

バラナシ市内には、大小3000を超すヒンドゥー教寺院と1400のモスクがあります。そして全長約2,500キロメートルの大河、ガンジス河が流れています。

私ごとですが、私はこのバラナシには7年ほど10代から通いました。もともとは「ガンダーラ美術」に憧れインドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方を旅して歩きました。

1世紀から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代の仏教美術はギリシャ彫刻の影響を受けた仏さまなので、セクシーで(不謹慎ですね!)彫りが深く美しいのです。ニューデリーの美術館はもちろんのこと、むしろ列車で10時間近く行った地方の小さな美術館やガタゴトバスに揺られていくような村などに当時はガンダーラの仏像に出会えたのです。よくま~ひとりで・・・旅を続けたもんです。

そんな旅の最後に出会ったのが、監督と同じバラナシでした。川では早朝からヒンドゥー教徒が沐浴(髪・体を洗い清める)をしている光景がみられ、ガンジス河で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれます。そして「解脱の家」で安らかになくなった方が火葬され遺灰が河に流されます。

そんな空気感、風、匂い、人の息づかい・・・路地裏を歩いた記憶。様々なことを思いおこしてくれました。

ヴェネチア国際映画祭で10分間のスタンディングオベーションが鳴り響いたといわれます。温かさと優しさに満ち溢れ”死”について考えさせられた素晴らしい映画でした。

若き才能溢れるシュバシシュ・ブティアニ監督に、そして主演の息子役を演じたインド・アッサム生まれのアディル・フセイン、その他の俳優さんたちに、拍手喝采!

こうしてブログに書いていても、しみじみとした余韻が残ります。

「映画『ガンジスに還る』」への1件のフィードバック

  1. 浜さんのブログをきっかけに神戸で観ることが出来ました。楽しめました。ありがとうございました。

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