琉球 美の宝庫

美しいものが生まれる島 ”琉球”

現在、六本木・東京ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている展覧会に行ってまいりました。(9月2日まで)中でも8月22日~9月2日まで開催中の展示国宝王冠(復元)は必見です。

琉球の染色、琉球絵画の世界、琉球国王尚家の美、琉球漆器の煌めき、『生活の中の美』をコンセプトにしているサントリー美術館ならではの企画展です。これまでも”琉球の美”をテーマに数多く展覧会が開催されてきました。2007年に六本木に移転され開催された「美を結ぶ。美を開く」というメッセージは私にとってこの上ない喜びでありました。

何度かブログには載せましたが、私が沖縄の美(琉球の美)に出会ったのは民藝運動の創始者・柳宗悦氏の「手仕事の日本」を手にしたときから始まります。まだ本土復帰前のことです。旅好きの私は日本の地図を広げるのがとても好きです。「山や川や平野や湖水も、それぞれに歴史を語っているからです」・・・ではじまる「手仕事の日本」。

『沖縄ほど古い日本の姿をよく止めている国はありません。』

本の最後のほうにこう「沖縄」が出てきます。
長文ですが最初のところを載せますね。

「火燃ゆる桜島を後にし、右手に開聞ヶ岳の美しい姿が眼に入りますと、船は早くも広々とした海原に指しかかります。煙に包まれる硫黄島とか、鉄砲で名高い種子島とか、恐ろしい物語の喜界ヶ島とか、耳にのみ聞いたそれらの島々を右に見、左に見て進みますと、船は奄美大島の名瀬に立ち寄って、しばし錨をおろします。

更に南へと船首を向ければ、早くも沖縄の列島に近づきます。行く手に細長い島が横わりますが、古くからこの島を沖縄と呼びました。沖に縄が横たわるように見えるので、その名を得たといわれます。

支那ではこの島を琉球と呼びました。沖縄はその本島のほかに沢山の島々があって、中久米島とか宮古島とか八重山島とかの名は、度々耳にするところであります。

日本では一番南の端の国で、荒れ狂う海を渡って行かねばならないので、昔はそこに達するのが並大抵な旅ではありませんでした。この文明の世の中でも、神戸から早い船ですら三日三晩もかかります。島の人達は孤島にいるという淋しい感じをどんなに屡々味わったことでありましょう。

ですが、面積の小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、長い歴史が続き立派な文化が栄えました。尚王が城を構えたのは首里で、その近くの那覇は国の港でありました。外との往き来が不便でありましたから、すべてのものをこの国で作らねばならなかったのでありましょう。このことが沖縄に独特なものを沢山生み出させた原因となったと思われます。」

そうなのです。この一文に惹かれて私の沖縄の旅は始まりました。心惹かれる染色や織物。南国の花々は四季折々絶えません。緑は濃く、海は青く地は白い。

その自然が生み出したものに「紅型・びんがた」。型紙を用いて染めます。染物にも劣らず、美しい織物。絣の見事さ。織物類は彩の多い柄が麗しくその美しさに目を奪われます。

中でも私が心奪われたのが「読谷村の花織」です。500~600年前に南洋から伝来した織物と言われ、その織りかたが複雑なため織り手がいなくなり、その再現に一生懸命だったのが、読谷村に暮す与那嶺貞さんでした。たった一枚のちゃんちゃんこを手がかりに再現したのです。30年ほど前から通い続けました。今は亡きこの方から、私は忘れられない言葉をいただいたのです。

”ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ”
もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女・・・

こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女として、それは、丹念にほぐしていきましょうよ。与那嶺貞さんは機織の向こうで穏やかそうにおっしゃるのです。

今回の展覧会には日本民藝館から「花織」が出品されています。
柳宗悦の「手仕事の日本」の中に「沖縄の女性達は織ることに特別な情熱を抱きます。」と書かれております。

展覧会の絵画では、江戸で琉球ブームがおきるきっかけとなった琉球使節を主題とする品々。それはそれは見事な漆器。まさに『琉球の美』を堪能することができる展覧会でした。

私たち本土の人間はこのような歴史や文化をどこまで理解しているでしょうか。先の戦争でどのようなことが起き、沖縄の人々、文化を失ったのでしょうか。今起きているさまざまなことを、もう一度振り返り、この「琉球の美」に改めて触れることの大切さを教えてくれた素晴らしい展覧会でした。

サントリー美術館 公式サイト
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2018_3/

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