沖縄への旅

6月23日、沖縄は梅雨明け宣言とともに「慰霊の日」を迎えました。

平成最後の「慰霊の日」です。戦後73年目を迎え、20万人以上の戦没者を悼む「慰霊の日」。私は4日遅れての訪問です。

私が始めて沖縄を訪れたのは、まだ国際通りは舗装されておらず、土埃が舞い、車の運転は右側でした。パスポートを携えての沖縄の旅。民芸運動の創設者・柳宗悦氏の「手仕事の日本」を読んでからでした。また、「民藝とは何か」の本の中に『真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を超えねばなりません。そしてものそのものを直接に見ねばなりません。ですから知識で見たり概念で見たりしたら、本質的なものを見逃してしまう』・・・と書かれていました。”民藝のふるさとは沖縄にあり”とも書かれていました。

沖縄の工芸をこの目で見てみたい、この手で触ってみたい!「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と書かれた言葉。それはなぜ・・・。芭蕉布、花織、絣柄、宮古上布など、それはそれは美しいのです。

そんなきっかけで通い始めた沖縄。友人達との出逢いも30年近くになります。ゆっくりとした時間の中で過ごす沖縄滞在の中で、彼女達の、沖縄の方々のこの「慰霊の日」に対して「戦争の犠牲を子や孫に伝えたい」という思いが深く伝わってきました。

沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和公園にある「平和の礎(いしじ)に刻まれた戦没者名は沖縄県民の4人に1人が死亡し、日米双方の犠牲者の名前です。4月1日には本島でも戦闘が始まり、県民を巻き込んだ地上戦は約3ヶ月も続き6月23日、日本軍の自決で戦争は終結しました。9月7日の降伏調印まで局地戦は続き、そこでも沖縄県民が犠牲となりました。

梅雨も明け、じりじりと日が照りつけるなか、真っ青な海、雲ひとつない摩文仁の丘に立ち、「平和の礎」に刻まれた文字に手を合わせ「戦争は二度と起こらないでほしい」と願いました。

6月22日付けの朝日新聞に寄稿されていた社会学者の岸雅彦さんの文章に心打たれ、何度も読み返しました。岸さんは沖縄戦を経験した方々の生活史の聞き取りをしていらっしゃるそうです。生活史の聞き取りから浮かび上がってくる「沖縄の方々の心・気持ち」が伝わる記事でしたので、一部ここに載せさせていただきます。

『沖縄的時間はゆっくり流れる。しかしそれは、亜熱帯の、のんびりした島の時間、という意味だけではない。自分の祖父や祖母やその親戚が亡くなったその同じ場所で、いまも沖縄の人びとは暮している。そしてそこには、そのときと同じ国の軍隊がいまだに広い平らな土地を占領して居座っている。さらにその基地の存在を許し、歓迎さえする日本の政府(あるいは私たち内地の人びと)』。

ゆっくりした時間の中で、今日も公設市場には元気な声が聞こえ、観光客で賑わっています。

私は南国のフルーツを家族に送り、”沖縄の戦後”はいつまで続くのか・・・と、ふっとシワの刻まれたおばあの顔がたくましくも、また、その恐怖の経験に思いを馳せると、「来年もまたお邪魔させてください、祈ります」とつぶやいていました。そして、本土の人びとの理解を望みます。それは世代を超えてです。

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