こよひ逢ふ人 みなうつくしき 生誕140年 与謝野晶子展

みなさまはゴールデン・ウィークはどのように過ごされるのでしょうか。

私は暦通りなので、1日は東京にラジオ収録で出かける以外はこの箱根の山でのんびりと過ごす予定です。まとまったお休み、”さぁ~何をしましょう”・・・と考えていた時にふっと普段なかなか出来ないことをしようと思いました。

以前に買い求め、斜め読みしかできなかった与謝野晶子の「新訳源氏物語」を読み始めよう!と思い立ちました。

初版発行は平成13年。その頃の私といえば、何だかバタバタと全国飛び回り、「この世でもっとも読みやすい源氏物語」と帯には書かれておりますが、それが、なかなか・・・。そこで、ちょうどよい機会なのでこのゴールデン・ウィークをスタートにしようと思ったのです。

ちょうど現在、横浜の港の見える丘公園に隣接している県立神奈川近代文学館で特別展『生誕140年 与謝野晶子展』(5月13日まで)が開催されておりますので行ってまいりました。

”こよひ逢ふ人みなうつくしき”

与謝野晶子は、1878年(明治11)、堺の町中にある和菓子商・駿河屋の娘に生まれ、体の弱い母にかわって、駿河屋の中心的な働き手として、帳簿つけ、菓子の販売など、店番の合間に膨大な父の蔵書をひもといて、奈良時代から江戸時代にいたる古典作品の数々を読み耽っていたそうです。

有名な歌集『みだれ髪』は、晶子は髪が豊かで、いつも幾筋かの髪の毛を垂らしていたことから、師であり、後に夫になる与謝野鉄幹が歌の中で晶子を「乱れ髪の君」と詠み、愛称となったそうですね。

鉄幹、晶子の相思相愛は生涯変わることなく続くのですが、妻であり、五男六女の母であり、一家の家計を支える大黒柱であった晶子の日常の暮らしは、想像を超えたエネルギーと鉄幹への尊敬と思慕がなければ続かなかったことでしょう。

うすものの二尺のたもとすべりおちて 蛍ながるる夜風の青き (みだれ髪)

そと秘めし春のゆふべのちさき夢  はぐれさせつる十三絃よ (みだれ髪)

恋をしている女性は美しい、とも書かれています。会場の直筆の手紙や書、不遇の日々を過ごす鉄幹を再生させるため、晶子は鉄幹の念願だった渡欧を実現させようと資金集めに奔走し、自ら屏風歌を詠み、パリに向かった鉄幹を送り出し、でもその不在に耐えられなくなり、子どもを鉄幹の妹に託し、自身もパリへと旅立ちます。

そのパリ滞在中に描いた「リュクサンブール公園」はその才能の豊かさにも驚きました。

男女の別なく「完全な個人」を目指していた教育を実感できる資料も見ることができます。

そして旅に彩られた晶子の後半生の中でも神奈川県各地への旅行は数知れず。箱根には「明星」「冬柏」の同人たちと例年のように吟行に訪れ、温泉で心身を癒し、森林や溶谷、湖で豊かな自然に親しんで詠まれた多くの作品には「深い歌堺がある」といわれています。何だか嬉しくなります・・・私の住む箱根を旅していた与謝野晶子がそこに存在しているようで。

鉄幹と出逢って35年の歳月。
苦労も葛藤も多かったはずです。
会場で目にした『半分以上』で
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。

で、始まる詩を読み、涙がこぼれてきました。

与謝野晶子はすぐれた歌人であり、自らの考えを信じ、男性社会においてもたえず”新しさ”を求め、自分自身の生き方を貫かれ後世へと夢を託した人。何よりも『母性のひと』だと実感した展覧会でした。

晶子30代で訳した「新訳源氏物語」は渡欧を挟んで3年で。自身「無理な早業」と語っていますが、『新新訳源氏物語』(全六巻)は鉄幹の死を挟んで約6年の歳月をかけた訳。

完成して約半年ののち、晶子は脳溢血によって倒れ、2年後(昭和17年)63歳のいのちをおえました。私が生まれる前の年だったのですね。

まずは「ひかる源氏」編(角川書店)と「薫・浮舟」編から読みはじめましょうか。

神奈川近代文学館
東急東横線直通みなとみらい線、元町・中華街駅・6番出口徒歩10分

シニアは入場料300円。
休館日(月曜)4月30日は開館です。
お天気のよい日にお散歩がてら、海を眺め、帰りに中華街での食事なども素敵ですね。

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