若狭の暮らしを若者たちに託して

人間には「デジャ・ヴュ」(既視感)という、まだ世界中の誰にも解明されていない、不思議な感覚があります。
一度もみたことのない風景の筈なのに、自分自身の感覚の中では、「絶対にいつかどこかで、同じ風景を見たことがある」という親しみ深い、そして確信に満ちたあの感覚。それが、いまの私の若狭の家がある”おおい町・三森”の「風景」なのでした。
それは、25年ほど前の、ある秋の日の夕刻。テレビの取材の仕事で、小浜から京都の綾部までの道を車で走っていた時のことでした。なだらかな山並みの前には美しい竹林があり、周りは水田に囲まれていて、そこに数本立っている柿の古木には、ふたつ、みっつと実がなっていて・・・。


「私、ここの風景を知っている!昔、ここに住んでいたことがあるのかもしれない・・・」そんな思いにかられました。もちろん住んだことはありません。箱根での暮らしが10年も続いた頃に、今度はもっと純粋な日本の「素朴な農家」にも住んでみたいな、と願い始めている自分に気づきました。古民家を移築し「やまぼうし」と名づけた私のもうひとつの家。


そして、きちんと農業を学んでみたい!米作りの実際を体験したい、と田んぼはわずか7畝でしたが、地元の信頼する農家のご夫妻に農業のイロハを手ほどきいただきました。村社会での暮らしも経験し、この地に私の長年の夢を実現させました。
手植え、手狩り、はさかけ・・・。その間の水の管理、草取りなど、様々な作業があり、休む間もないことを肌で知りました。米作りにともなう農村の営みや文化、折々の機微、人々の絆の強さ、さらに花一本、草一本、虫一匹にも役割があることを学びました。
私は2010年から4年間、近畿大学・総合社会学部で客員教授をつとめさせていただきました。そこで、「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマのもと授業を担当させていただきました。なによりも、私自身がもう一度学びなおすことができるのではないか、と思ったのです。
そして、大切にしたことは「フィールドワーク」でした。今はIT時代で、人と人が目を合わせて語ったり、笑ったりするコミュニケーション力が不足した若者が増えているといわれています。
立ち止まったり寄り道したり。
しかし、自分の足で現場を歩き、目で見、肌で感じ、たくさんの人々との出会い、わかること、発見もあるでしょう。そんな思いで4年間若狭の「やまぼうし」でのフィールドワークが続き、学生たちは社会へと羽ばたいて行きました。そんな彼らが2011年から『近大農園』を誕生させ『やまぼうし農園』へと・・・OBになっても後輩へとその精神を受け継いでくれています。毎年の米作り、野菜作り、集落のみなさんとの語り合い、今年の夏もいっぱい汗をかきましたね。間もなく早稲の収穫もはじまります。


そんな彼らと久しぶりに若狭で再会ができました。初めて出会う学生さんも大勢いました。楽しかったです。語り合いましたね!月の光りを浴びながらのバーベキュー。
卒業していく4年生、これから始まる新入生の皆さん。
失敗しても、試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができます。そうして健やかな心を支え、育ててくれるのは、本を読んだ知識も大切ですが、現場での体験もかけがえのないものです。『人と人の温かい絆がうまれるのは現場』からでもあるのです。
みなさんに逢えてよかった!
ありがとうございました。

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