落語と法話

先週、京都で「柳家小三治 柳家三三親子落語会」があり、ようやく入手したチケットで行ってまいりました。
演目は小三治師匠は「馬の田楽」、三三師匠は「道場破り」。
京都でのお二人の落語を聴くのははじめてです。桜の蕾もまだ固く”夜桜”にはあと少し。でも会場は華やかさの中にも落語好き・・・独特の雰囲気があり胸をときめかせながら開演を待ちました。
小かじさんの「たらちね」から始まり三三師匠。そしておっかけに夢中の小三治師匠が登場するともう胸はドキドキ・・・今回の”まくら”は1時間。落語に入る前の”まくら”・・・今回もじっくり聴かせてくださいました。
人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのでしょう。そして、師匠の噺を聴きながら、会場が京都・・・ということもあるのかもしれませんが、師匠のお噺の内容には”笑いの法話”を感じたのです。
77歳の師匠の歩んでいらした道の後ろから、そっと耳をすませて聴かせていただくような感覚。これは「法話」でした。冷え込む京都の夜でしたが、心は満たされホカホカ。このご縁を大切にしたいと思いました。
そして、翌日は早朝に私がとても好きなお寺さん『法然院』へ。


うっそうとした森を背景に、自然を生かした庭園。手水鉢に季節の花「椿」が浮かんでいます。法然院は、京都の東山山麓、鹿ヶ谷にあり、哲学の道から歩いて行き山のほうに折れると、幅広の石段の隅に「法然院」と刻まれた石柱が立っているだけです。石段を一歩一歩と踏み出すと木々の間から渡る風が心地よく、笹のさわさわと鳴る音に心が静まります。
総門には扉がありません。山側に墓地を谷側に竹林を抜けると茅葺屋根が見えてきます。境内の墓地には、作家の谷崎潤一郎や稲垣足穂、哲学者の九鬼周造など、お墓がいくつもあります。皆さん、この場所が好きでお墓に入りたいと願ったと聞いております。


山門を入ると、両側に白い盛砂があります。『白砂壇(びゃくさだん)』水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているといわれます。京都の市街地にほど近い場所にありながら、この静けさ。文化人や学者が好まれたのがわかるような気がします。法話も随時聞くことができるので”もしかしたら”と思い見てみると午後からとのことでしたので出直しました。
このお寺の貫主・梶田真章さんの法話を以前にも聞かせていただいております。あくまでも自然体、穏やかな笑みを絶やさずに語ってくださいます。
『共に生きる~絆と縁、愛と慈悲』
「法然院」は鎌倉時代の初め、法然房源空上人によって開祖され、色々な歴史を経て今日にあります。梶田真章貫主のお考えで境内では音楽やアートなどさまざまな催しも行われています。30分の法話でしたが、心に染み渡るおはなしでした。
ありのまま」という本もだされています。
「佛教は、人生をいかに楽に生きるかを教えてくれる知恵なのです」と書かれています。
人付き合いや恋愛。仕事に勉強。人生への不安。
人それぞれに、大なり小なり、悩みはあると思います。
悩むのだけれど、悩み傷つくこともあるのだけれど、ありのままに、心豊かに生きていきたい。多くの人がそう願っているのではないでしょうか。
この本は「ていねいに暮す」について書かれています。
日々心がけたい私の思いの答えがちりばめられています。
   落語の”まくら”と”法話”
石段を一歩づつ下りながら、深呼吸をしました。
このご縁に感謝です。
法話をしてくださったご住職の横には『縁起』と書かれていました。
そう・・・人も動物も、植物も、みんな支えあって生きているのですよね。
桜満開の京都も素敵ですが、ちょっと早いとこの静けさです。

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