古川祭り・ユネスコ無形遺産

「山・鉾・屋台行事」がユネスコの無形文化遺産に33件が登録されました。全国をこれまで旅をしてきて、こうした素晴らしい祭りに私は何度も出会ってきました。木工・漆・染物など伝統技術によって継承されてきた祭り。まさにこれらの祭りは「地域の宝」です。
その33件の中に飛騨古川の「古川祭りの超し太鼓・屋台行事」も入りました。
あれは40年ほど前になるでしょうか。古民家探しの旅の途中、飛騨高山の先の古川町でひと休みしていたら、ある青年がやってきました。「僕たちどうしても映画を作りたいんです。」
彼は青年会議所のメンバーの一人でした。「何の?」「ふるさとを見直す映画です」。その真剣なふるさとを思うまなざしに引き込まれてしまい技術的にはお手伝いできないけれど、仲間を紹介しささやかなお手伝いをし、8ミリの超大作「わがふるさとに愛と誇りを」は2年半の歳月をかけて、出来上がりました。
制作予算なんか全くないも同然、青年会議所のメンバーも持ち出しでの映画作りでした。街の人たちも皆んな手弁当。自分たちの生まれ育った町、その中で何を受け継ぎ、何をのばしていこうか・・・真剣です。
旅先で知り合った大切な仲間たちが私の生涯の友です。
大ヒット映画アニメ「君の名は」では架空の田舎町になっておりますが、飛騨古川であることは観てすぐにわかりました。駅、図書館・・・田園風景。映画のヒットにより土日ともなると若い観光客が町中に溢れていると古くからの友人の手紙にありました。
今回の無形遺産登録はどこの地でもそうですが、自分たちの暮す町の文化を守る・・・という強い熱意が伝わります。
古川祭りは気多若宮神社の例祭として毎年4月19、20日に行われ、それはそれは厳かで、勇壮です。


[写真提供:飛騨市公式観光サイト]
神社本殿での神事、古式ゆかしい「御神興行列」(飛騨の匠の技が随所に施されている屋台)と「起こし太鼓」(毎年3月第1日曜日)。
起こし太鼓が動き出すと男達の熱気が広がり町中が高揚感に包まれます。男性が主役の祭りですが、家を守る女性は子ども達にお菓子をくばったり・・・と陰で支えます。飛騨古川は老若男女すべてが協力しあう、それが古川祭りです。
その祭りを長年守ってきた中には私の仲間たちもいてくれます。


[写真提供:飛騨市公式観光サイト]
新たな取り組みも行われ、飛騨の里に欧米人観光客も多く訪れています。それは「よそ者」の新しい息吹が入り、新たな仕掛けが里山の風景をさらに魅力的な街へと変身させているのです。
どこでも高齢化の傾向が強まる中で”キーパーソン”が求められています。自分たちの手でこの町の未来は作る・・・と動きはじめたところがいくつも出てきました。
幸せな町には幸せな人生があります。
“がんばって!”と応援したいです。
そして、無形遺産を守り続けてください。

「古川祭り・ユネスコ無形遺産」への2件のフィードバック

  1.  古川祭り、ぜひ一度見てみたいものです。
     古川へは、妻と15回も訪れているにもかかわらす、仕事の関係で、観ることができません。高山線80年のイベントで屋台の引き揃えは見たことがあるですが、あの起こし太鼓というものを一度、体験したいと思っています。
     今から4年前、心臓の病に倒れ、身体的、精神的に打ちひしがれていたころ、2013年、あの美しい飛騨の里山を、今ではキーパーソンとなっておられる飛騨に移住してきた方と、サイクリングし、生きる力をもらいました。あの体験がいまの私を支えています。
     そして、いつ訪れても妻と私を温かく迎えてくれる方たち。そんな飛騨びとと話しをしているだけで、非常に幸せな気持ちになれます。古川の方の地元への愛着、そして伝統を守ろうという強い気持ちにはいつも感心させられます。
     いつまでも、永久に、この伝統を受け継いでもらいたいものですね。

  2. 浩さま
    ブログへの投稿ありがとうございます。
    そうですか、奥様とご一緒に古川へは15回も行ってくださっているのですね。
    私も古川は”心のふるさと”です。
    ご病気後にもいらっしゃたのですね。
    あの町は、ふと駅に降り立ったときから、街並みに安らぎを覚えて、
    『あ~帰ってきた』と思わせてくれますね。
    地味ですが、人々は温かく、冬は雪が深く、春は祭りで燃える地。
    信仰深い飛騨の神仏行事にはなくてはならない”和ろうそく”も素敵ですね。
    何よりもそこに暮す方々の温かなもてなしが、どれほど旅人を癒してくれることでしょうか。
    浩さま、ぜひ次回は「起こし太鼓」をご覧ください。
    浜美枝

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