信州の旅

先日、長野県にある八十二銀行の財団法人八十二文化財団に招かれ、長野市内での講演に行ってまいりました。最近は子育て時代と違い、時間にもゆとりが持て、また以前のように日帰りでバタバタと出かけなくても良い環境になってきました。
初夏の日を浴びてそよぐ若い葉、新樹、まさに今年一番美しい新緑の日でした。「これは1泊で信州プチ旅行をしたいな~」と思いたち新幹線に乗り込みました。長野の手前、上田駅下車。そこには東御市和(とうみしかのう)で農園カフェレストラン「ヴィラデスト ガーデンファームアンドワイナリー」を営んでおられる玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんが出迎えてくださいました。
抄恵子さんとは園芸の師匠村田ユリさんの門下生仲間。といっても私は落第生。植物のことなど何ひとつ勉強せず・・・抄恵子さんはそこでしっかり学び、現在の素敵なヴィラデストのガーデンをつくられたのでした。
もう27、8年ほど前になるでしょうか、初めて農園をお訪ねしたのは。軽井沢の追分から上田に抜ける林道から横道に車を走らせたのは偶然でした。私は舗装されたまっすぐな道よりも、がたがた揺れるような曲がりくねった遠回りの道が好きで、選んでそういう道を探してしまうところがあるのです。
20代後半から30代にかけて4度の出産をし、子育てをし、家をつくって、女優という仕事を続ける・・・我ながらよくやったと思います。 30代後半から心因性のアレルギーに悩まされるようになったのは、こうしたもろもろの無理を重ねてきてしまったのです。夜中に音楽をかけながら車を飛ばし・・・細い横道沿いを進んでいくと目の前に、はっとするような美しい農場が開け、思わず車を止めました。それが今は亡きユリおば様との出逢いでした。
ユリさんは当時70代。ポタニカルアートやフラワーアレンジメントの先駆者であり、エッセイストとしても知られ、ジャーマンアイリスの専門家でもありました。それらは後に知ったことです。お会いした瞬間、私はこの方をずっと知っていたような気がしたのです。お会いできたことを御代田の大地に感謝し、それから長いお付き合いがはじまりました。
あるとき、疲れ果てて夜遅くユリさんの家に着いたことがありました。
その時ユリさんは、ご自分の庭で採れたハーブを木綿の袋につめ、それをお風呂に入れて「気持ちいいわよ、お入りなさい」と進めてくださいました。ゆっくりお風呂に入ったあとベッドに入ると、枕の下にも、また別のハーブがしのばせてありました。ハーブの香りに包まれ、そっと抱きしめられるような気持ちになり、その晩、数年間なかったような深い眠りにいざなわれました。寒い夜、暖炉に薪をくべ、暖かい火に一緒にあたりながら、ワインを飲んだりおしゃべりをしたり。
その頃に玉村ご夫妻と出逢いました。4人で豊男さんが腕をふるってくださる料理でワインとおしゃべりをし豊かな時間でした。ユリさんは昼間はほとんどの時間を畑で過ごしていました。手を土色に染め、額に汗を光らせていました。ユリさんがいてくれると思うだけでほっと体から力が抜けるようになりました。
今、私はユリさんと出合ったころの、ユリさんの年齢になりました。40代の私のために、自分の空間と時間をすっと差し出してくださったユリさんのような大人に、私もなれただろうか。そういう人生を歩んできただろうか・・・と思うのです。
近所に住む抄恵子さんは足繁く通い、植物の勉強をしっかりとなさり現在の美しいガーデンができあがったのです。年は私が上ですがまるでお姉さまのよう。


美味しいランチをいただき、庭を散歩させていただきました。


モッコウバラのアーチの奥にはアルプスの山々が雪をかぶり、リナムが一面に咲き、カリフォルニアポピー、シジミバナ、ルバーブ、ジャーマンアイリス、セイヨウミミナグサ、キャットミント、ベロニカ、オダマキ・・・・など等、抄恵子さんの愛情が降り注がれたガーデンでした。
上田から長野、そしてM夫妻の住む黒姫でのんびりさせていただき、翌日の朝、皆さまが待っていてくださる長野市内のホールへと向かいました。600名満席の方々の笑顔に迎えられ『明日を素敵に生きる』をテーマにお話をさせていただきました。もう、会場の皆さまこそ素敵に生きていらっしゃいます。お顔が輝いていらっしゃいました。
皆さまに「逢えてよかった」素敵な出逢いをありがとうございました。

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