長野・安楽寺での講演

長野県駒ヶ根市上穂栄町にある「安楽寺」で第35回安楽寺佛教講演会に招かれ伺ってまいりました。中央線あずさ号に乗り、茅野で下車。ご住職が駅にお迎えくださいました。車で約1時間。


前泊し、まずお寺の本堂でお参りをさせていただき、お寺の歴史や本堂壁画を拝見いたしました。12枚の釈尊の生誕から涅槃に至る生涯が描かれており、それは素晴らしい壁画でした。


ご住職とお話をさせていただくと同じ時代、私は20代~30代にかけてインド北部、お釈迦さまの歩かれた道、悟りを開かれた場所などを10年間、毎年1月下旬の乾季に訪ねていたのですが、ご住職も歩かれ、最近、21年ぶりにいらしたとのこと。
カルカッタ美術館はもちろん、列車を乗り継ぎ土ぼこりにまみれ歩いた地方の小さな美術館など。ガンダーラの仏に感動し、川で身体を洗い、最終バスが来なくてトラックの荷台に乗り街へと戻ってきたこともありました。
「今は昔ほど治安がよいとはいえませんが・・・。」とのこと。
青春時代のよい思い出です。


当日、本堂には400名ちかくの方々がお集まりくださり『逢えてよかった』というテーマでお話させていただきました。少し先輩の年代、同世代、少し下の方。「かまどでご飯を炊いた経験」のある方々です。
「逢えてよかった」
私はこのことばが大好きです。
ある時、富山県、宇奈月の手前、裏山という町にある善功寺というお寺の住職さん一家を訪ねたときのことです。無人駅の裏山に5歳の友人の息子さんが、私を向かえに着てくれました。
雪山さんご一家です。
ご主人の雪山さんは以前、新聞記者をなさっていたかたで、私がギリシャでの仕事のときに同行してくださった記者さん、というのが最初の出逢いでした。以来、お寺にはいられてからも今度は家族ぐるみのお付き合いをしていただきました。
コンニチハ、とぺこんと頭を下げて、ちゃんと先に立って私をお寺まで案内してくれます。200メートルくらいなのですが、5歳の坊やがエスコートしてくるのはうれしいことです。
食卓でごはんを食べているとき5歳の坊やがききました。
この中でいちばん先にうまれたのはだあれ
おじいちゃんよ
その次は?
おばあちゃんよ
そのつぎは?
お父さんよ
その次は?
お母さんよ
その次は?
お姉さんよ
その次は?
お兄ちゃんよ
5歳の坊や期待に目を輝かせ
その次は?
ボクよ
みんな、逢えてよかったね。
私はぼろぼろ涙を落としてしまいました。
『みんな逢えてよかったね。』
あれから30年の月日が流れました。
友人の雪山さんは若くして亡くなりました。
いつか、人は別れがきます。
そして、立派に成長されたお子さまがた。
私は、いつもその言葉を、詩のように思い起こすのです。子どものことで悩んだり、育児がうまくいかなかったりした昔。家族関係がちょっとばかりギクシャクしたときなど。
私の子ども時代、物はなかったけれど心は豊かだった・・・ことや、バスの車掌時代、油でまみれた作業着を着て家路に着く人たち、終バスではこっくり・こっくり居眠りをしていましたっけ。そして皆なさんの命をあずかる運転手さん。
みんな働く仲間、同志のような存在でした。
本堂の仏さま。
お釈迦さまの壁画。
静謐な空間の中で心がみなさんとひとつになったような気がいたしました。
皆さんに「逢えてよかった」
ありがとうございました。

「長野・安楽寺での講演」への2件のフィードバック

  1. 素敵なお話ですね人の人生はみんな違います、でもこころは感動することはみんな一緒です
    残りの時間を有意義に素敵な出会いを楽しみにいつか浜さんにもおあいできたらと思います、ブログアップ楽しみにしています

  2. nakazawa yoshikoさん
    ブログへのコメントありがとうございます。
    この1週間は函館・サッポロ・青森・岩手と旅をして
    戻ってまいりました。
    今回も素敵な出逢いがございました。
    ひとり一人に人生があり、出逢いがあり・・・。
    次回はそんな旅をご報告いたします。
    楽しみにお待ちくださいませ。
    浜 美枝

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