飛騨路への旅

パリから戻り、4年間つとめた近畿大学の客員教授としての最後の講義を土曜日に終わらせ、大阪から名古屋経由で飛騨古川に行ってきました。
古川は高山から西へ16キロ。
有名な高山の影に隠れていて目立たなかったのですが、私はそのことがとてもよかったなぁ、と勝手に思っているのです。
観光地づれしない、初々しさといいましょうか。
家々の営みが、こんなに美しいなんて!と、感動なさると思います。
城下町として栄えた名残が町並みに残っています。
観光地化されない良さが、旅人をくつろがせると、いつも私は思っています。
住んでいる人たちがその町を愛していないと、町は美しくなりません。
城下町として発展してきた古川の町は、鯉の泳ぐ瀬戸川を挟んで碁盤割りに町内が区画され、出格子の商家や白壁土蔵の造り酒屋が続くしっとりと落ち着いた雰囲気の町です。
飛騨の匠の流れをくむ「木の匠」たちの手による木造建築によって町が構成され、一軒一軒が木ならではの品格と優しさ、強さを秘めた家並みで構成されています。
ご縁ができる土地ってあると思いませんか?
私は全国に何ヶ所か、世界に何ヶ所かもっています。
何度行っても新しく、そして懐かしい所。心からくつろげて、癒される所。
そんな旅先を持っていることが、心の財産だと思っています。
その財産のひとつが飛騨古川なのです。
この地名を耳にすると、私の胸はキュンと高鳴ります。
高山本線に乗り、秋のふるさとを目指しました。
車窓からは、黄金色にかがやく稲穂。
一面に咲いたコスモスが、風に吹かれて軽やかに揺れ、紅色の彼岸花が沿線に咲いています。川の流れも穏やかです。


駅に降り立つと仲間が「おかえりなさい」と迎えてくれます。


私が民藝に目覚めた中学生の頃からの夢の家。
柳宗悦先生の本に触発された匠の技による”美”の実現。
太い柱、使い込んだ床、磨くほど味わいをます道具達。
それらで構成された家を作りたくて旅を続けていた40年ほど前。
そのために廃屋探しで飛騨地方や北陸を旅していたとき、ふと降り立った町。
その町で、ある青年に声をかけられたんです。
「浜さん、ボクたち映画を作りたいのです。タイトルだけは決まっているんです。『わがふるさとに愛と誇りを』っていうんです。」
青年は、私が女優というだけで映画作りもすると思ったわけです。頼まれた私はびっくりしましたが、彼らの熱意に打たれ協力することになりました。そのときの出会いがご縁で、私は飛騨古川の応援団として今でもお付き合いが続いているのです。
知り合いの映画技術者など紹介し、できるだけのことをお手伝いし、8ミリで2時間の大作が完成しました。その日の感動が、以後40年過ぎても、私を古川に引き寄せるのです。
何に引き寄せられるかといいますと、これは何処へいってもそうですが、そこに生きる人々の心映えです。それが旅人である私の最高の魅力なのです。
お付き合いが40余年もの歳月に及ぶと、仲間は親戚のようになり、同世代の仲間ですから、人生の折々の楽しみや悲しみも共有するようになっています。
今回も彼らと旅の話や家族の話・・・これからの町づくりをどう若者に繋いでいくか、などなど。
第二のふるさと・古川の町並みを誇らしく思います。
懐かしい友を訪ねる旅をしてきました。

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