本屋さん

この頃、山を下り小田原から新幹線に乗るとき少し早めに駅に着き、本屋さんをのぞく時間がとても幸せな気分にしてくれます。
棚を見ながら、今興味のありそうな本を探す。至福の時です。
先日、そんな私の隣で小学3,4年生の男の子が何やら熱心に厚い本を真剣に読んでいました。
「へ~え、子どもが大人のどんな本に興味があるのかしら」と、とても気になりました。「・・・ちゃん帰るわよ」とおかあさんの声がしてもまだ読み続けていました。ようやく諦め本を閉じ帰っていきました。その本を見て見ると「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著。「何処で彼はこの本を見つけたのだろう」と思いながら自分自身の子どものころのことを思い出していました。
我が家は空襲で焼け出され、無一文になったので子どものころに本を買ってもらえるような環境にはありませんでした。憧れの中原淳一さんの「それいゆ」「ひまわり」やピーターパン、赤毛のアンなど欲しい本がいっぱいありました。でも、買えずに本屋さんに行ってはそっと眺めていた記憶。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時放送)に素敵なお客さまをお迎えしました。
ノンフィクション作家の稲泉連さんです。
稲泉さんは、1979年、東京のお生まれ。
早稲田大学文学部を卒業後、ノンフィクション作家の道に歩まれ、2005年「ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死」で、大宅賞を受賞。その他にも数々の作品を書かれています。
この度、東日本大震災で被災した本屋さんの歩みを取材した「復興の書店」を上梓されました。
「とにかく現場をみなければ」との思いで、稲泉さんは向かいます。
岩手、宮城、福島のうち、被災した書店は391店もあり、3つの県の書店総数のおよそ90%を占めるそうです。廃業に追い込まれた本屋さんも多い中、震災直後に店を開いた書店では、どこも「この状況で本なんて売れるわけがない」と思ったそうです。ところが本を求める人は想像以上に多く、本は『生活必需品』 だったのです。
あのときはまだ仙台市内でも食べるものがなく、多くの人たちが街中をひたすら歩いて、スーパーの列に並んでいたそうです。そんなときでも、リュックサックを背負った人たちがぎっしりと本屋さんに並んでいたそうです。食料や水を求めるのと同じように。
4月から始まる小中学校の生徒達のために「何があっても教科書だけは・・・・」という書店もたくさんあったと伺いました。
緊急発売されたグラフ誌、写真週刊誌、お礼状の書き方の本、中古車情報誌、住宅情報誌、そして、「ジャンプ」や「マガジン」などの漫画週刊誌は全く数が足りない状況だったそうです。
「紙の本や雑誌の大切さを、あらためて知った気がしたんです」という本の中に書かれている言葉には、街の再生を願う人々の心を表しています。中でもとても印象深いお話として、書店で働く人の「本がある日常、普通の時間が欲しかったんじゃないかな、って思うんです」という話し。
「テレビや新聞では、ずっと津波の映像や不安になる情報が流れていました。もちろんそれは必要な情報だけれど、そうではないものも欲しかったんですよね、きっと。あのとき、世の中は自粛、自粛といわれていて、大変な現状に堪えたり抗ったりするために何かをしたり楽しんだりしてはいけない雰囲気でした。でも、大変な現状に堪えたり抗ったりするためには、やっぱり力が必要なんです。その力を養うために本が必要とされたんじゃないか、と感じるんです」・・・と。
考えさせられました。
「東北人」の人と人の支え合い、繋がりなど、被災者の方々の思いをそのようにマスメディアを通して知りましたが、「復興の書店」にも書かれていますが、「自分のため」という思いを押し隠さざるを得ない被災生活だからこそ、多くの人たちがひとりの世界へ入って、心の充電をするためのツールとして、本を求めたのでしょうね。
稲泉 連さんのお話は、本に対する愛情の数々が感じられ 『復興の書店』(小学館)を上梓されたことに感動を覚えた時間でもありました。
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(放送は9月30日(日)10時半~11時)