伊勢湾に浮かぶ答志島

近畿大学・総合社会学部の客員教授として講義を受け持って今年で3年目です。アッというまの3年。前半期、月2回の講義です。
その中でも楽しみの一つが、フィールドワーク。
勝手に私が『師・先生』と仰いでいる方が民俗学者の宮本常一です。名著「忘れられた日本人」(岩波文庫)を読み、足元を見つめ直すきっかけを与えてくださいました。何より「現場」を大切になさった方です。旅程はほぼ16万キロ。地球を4周に及ぶといわれています。ときには辺境と呼ばれる土地で生きる古老を訪ね、その一生を語ってもらい、黙々と生きる多くの人々を記録にとどめました。私など足元にも及びませんが、宮本さんは、常に「主役になるな。主流になるな」という言葉でもって、自分を戒めておられたそうです。
学生達には「現場を見てほしい」・・・と常々思っています。
授業で「寝屋子制度」について学びました。

授業を終えて、近鉄で鳥羽に向かいます。佐田浜から市営定期船で30分ほどで伊勢湾に浮かぶ「答志島」に着きます。船上で「わ~あ、私この授業を受けていなかったら一生この島には来なかったかもしれません」という学生。
私が始めて島を訪ねたのが17年ほど前のこと。
この島には「寝屋子制度」が日本で唯一残っているところです。
「若者宿」とよばれ、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りする集団。仲間を作り、頼んでどこかの家を宿にし、毎晩そこで寝泊りします。その若者達を預かり、宿を提供するのが、「寝屋親」です。血のつながりはありませんが、生涯、親子のような付き合いをします。

なぜ寝屋子制度はできたのでしょうか。
漁業は、板底一枚下は地獄と言われる危険な仕事。
いざ、という時に、理屈よりさきに身体が海に向かいます。

今回もお世話になったかつて漁師歴50年の山下正弥さんも、荒波の中で奥さんが海に落ち寝屋子に助けられたそうです。
「まあ~時代が変わったから多小の変化はありますが、今も島の精神的な居場所になっています」と話してくださいました。
民宿に泊まり、島の方々の優しいもてなしを受け、お話を聞き、島を散策し、たった2日間でしたが学生達は「何か」を感じとってくれたようです。
「無縁社会」が話題になる現代社会ですが、この島は違います。
答志の島に生まれ、育ち、寝屋親をし、海で生き抜いた正弥さんは言います。
「漁業が元気でなければ、この制度もなくなる・・・」と。
早朝ひとり港の周りを散策していると、かつては海に潜っていた海女のおばあちゃんが声をかけてくださいます。「おはよう」と。顔中のシワは人生の宝です。80代でも現役の海女さんがいらっしゃいます。路地を歩きながら、干した魚を見ながら、「幸せってこういうところにあるのだわ」と思いました。

埠頭の桟橋でいつまでも見送ってくださった正弥さん。
学生達にたくさんの宝をありがとう・・・と感謝いたしました。

「伊勢湾に浮かぶ答志島」への2件のフィードバック

  1. 本当に近大の学生さんが羨ましいです。
    寝屋子のお話しを前回読ませていただき、非常に心に残り、答志島はぜひ行って見たい所のリストに入りました。
    いつも、拝読させていただきながら、まだ見ぬ地を旅させていただいている気分になっています。
    美枝さんの発信される、旅やゲストの方々のお話し、たいへん興味深く毎回楽しみにしてます。
    暑くなりましたので、充分体調管理にはお気をつけ下さい。(私は思いもかけず、先日熱中症になりました)

  2. ブログご覧いただきありがとうございました。
    答志島は何度訪ねても、心がほっこりします。
    明日はラジオのゲストに「旅する女」を書かれた
    筒井ともみさんをスタジオにお招きします。
    「女たちは、自分のための自由な旅をもとめて
    動きだした」・・・とあります。
    素敵で、切なくて、背中を押される本でした。
    今週のブログにお会いした時のお話をアップ
    しますね。
    浜 美枝

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