旅は曼荼羅

朝、ベッドの上で目覚めると、一番先に思うのは、ここはどこ?
日本列島は仕事の旅。講演や取材で訪ねる先々で知り合った人々との交流は果てしなく続き、二度目三度目はプライベートな旅に変わっていきます。
旅は一期一会とよく言いますが、そういう思いを深く味わうためにはそれなりの旅の工夫がいると思います。地球上には無数の旅先があります。人より少し多くを旅している私ですが、訪ねたところはまだまだ少ないです。行ってみたいところにこと欠かないのですから、恐らくこれからも旅を続けることでしょう。
あちらにはいつもときめきがある。あちらに行って、こちらの私がみえてくる。旅先で現実をふりかえると、現実の問題もよりくっきりと整理されよくみえてくる。なんだ、そうだったのかと、自分の進む道がみえてくることもあります。迷い道があるから広場に出られて、まわり道をするから目的地が恋しくなるのです。
関西での仕事の帰り、京都へ寄り道をしてきました。
『法然院』は、京都東山の鹿ヶ谷にある浄土宗の山寺です。
銀閣寺から南禅寺や永観堂のある南方へ10分ほど歩いたところ。

山門までの石段を一歩一歩と進むと初夏の風が心地よく、青い樹木一色。
山門をくぐると、両側に白い盛砂があります。
水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているそうです。
白砂壇(びゃくさだん)
そう・・・、気持ちよい空気の流れです。
桜や紅葉の季節ではないので人もそれ程多くはありません。
ガイドブック片手の海外からの旅行客が数人。
境内には蔵、隅に古い石塔が佇んでいました。

今回も法然院 貫主・梶田真章住職の法話を聞かせていただくのが目的でした。昨年の3・11以降、心のざわつきが治まらず、おはなしを伺ったのが最初でした。
「私を存在させているのは私ではなく、周りとのご縁で生かされているのです。なるべく他の存在を生かすように、生きとし生けるものに慈しみと悲しみの心を向けなさいとお釈迦様は説きました。それが慈悲です・・・」と。そして、「あらゆる命とかかわりあう」こともお話しくださいました。
清々しい気持ちで法然院を後にし、夕暮れ人の少ない哲学の道を散歩して帰路につきました。そうそう・・・哲学の道には”おいしい”スポットがたくさん集まっています。私はまる豆かんを食べました。

「旅は曼荼羅」への2件のフィードバック

  1. 今日も又、《素敵な旅》有難うございます。
    思わず、京都に行きたくなります。
    以前の、《直島》へもまだ行けてないのに・・・
    過密スケジュールの旅行でなく
    ゆったりと《たび》を楽しみたいです。
    人の住む所、いろんな出会いがあり、素晴らしい所が一杯ある事を信じて、思い立ったら出掛けて行くつもりです。
    ヒントになります。

  2. のかけらさん
    そうですね、『旅』は発見、出逢いの場ですね。
    やめられそうにありません。
    この頃感じるのは「私の原点に還る旅」
    ~私を育ててくれた人への感謝を込めて~の旅が
    多くなったように思います。
    ごくごく普通の旅が一番です。
    次回も旅です。
    ご覧くださいね。
    浜美枝

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