今和次郎~採集講義展

パナソニック汐留ミュージアムで素晴らしい展覧会を見てまいりました。
東日本大震災被災地の復興が急がれているなかで、考えさせられる展覧会でした。
今和次郎の名前を知ったのは40年ほど前のことでしょうか。
民藝運動の創始者・柳宗悦の足跡を訪ねての旅の途中でした。
14歳の時に、図書館で著書「用の美」という民藝の考え方に魅了されました。
気がつくと、各地の伝統工芸を伝承する人々を訪ね歩き、後の私のライフワークのひとつになっていました。
当然各地の民家を訪ねるわけです。
そこで「今和次郎」の名前を知るのです。
民家研究の第一人者で、当時、すでに失われつつあった民家を克明に調査スケッチしていたのです。しかも、そこに暮らす人々の行動、暮らしぶり、モノをなど私が知りたいことが全て記されていました。
調査・・・という視点ではなく「そこに暮らす人々とともに、同じ目線」で問題点やこれからの暮らし方を提案していました。
『考現学』の創始者であり・画家・建築・デザイン・・・に優れた才能の持ち主ということは後に知りました。
『考古学』にたいして『考現学』という概念です。
今和次郎は1888年(明治21年)青森県弘前の生まれ。
18歳で上京し、24歳で東京美術学校を卒業。
26歳で早稲田大学の講師となった後、助教授となり定年退職するまでの46年余りの間、デッサン・造園・建築デザイン、住居学、工芸、服飾、舞台美術、映画など様々な分野に携わりました。また、テレビの草創期に自ら出演し建築についてわかりやすく解説したりもしていました。
代表的著作『日本の民家』では民家のデッサンだけではなく周りの景観、道具、台所で働く農村女性の姿、また小さな部屋での暮らし方など、北国生まれの今ならでの暖かな視線を感じます。
最初は柳田國男たちと一緒に民家研究の旅を続けていたといわれていますが、今和次郎は、柳田國男から破門されたといいます。何故・・・と当時思いましたが、私にはすぐに納得がいきました。柳田の民俗調査と今の調査では異なるからではないでしょうか。
民家探訪地図を見ると、北海道から九州の南まで68ヶ所をくまなくスケッチしています。一人で全国の農山漁村に出向いています。
今回災害に遭った三陸地方にも足をはこんでいます。
朝鮮半島の民家も訪ねています。
『日本の民家』を刊行した翌年、関東大震災があり、彼自身が被災者となり焼け跡に立つのです。「東京の土の上に、じっと立ってみた」と言います。
全てを失いこれからの新たな生活再建を焼け跡から考えました。
それが「バラック装飾社」の表現活動へと続いていくわけです。
全てを失い新たな生活を立て直そう・・・と人々は一歩一歩と歩み始める姿を記録しています。あくまでも『人間の生活』が主体です。
今回の展覧会で改めて考えました。
自然の猛威の前には人間はあまりにも無力であることをしらされます。
復興計画には行政・国の感覚、計画と、そこで暮らしてきた人々の歴史文化、暮らしそのものへの思いが両立するのだろうか・・・と。
もし、現在ここに『今和次郎』がいてくれたら、どんな復興計画をたててくれるだろうか・・・。
人々に寄り添い復興に力をかしてくれるだろうか・・・。
きっと彼なら「美しい日本」への道に光りをあててくれるだろう・・・そう思いました。
3月11日を迎えるにあたり
人びとが大切にしてきた美しいものを次世代に伝えるために私たちはどうすればいいのか。
若い人に心を受け継いでもらうために何が必要か。
そんなことを考えながらの展覧会鑑賞でした。