お逢いしたいです、ユリさん

おばさまが亡くなられてあと少しで13回忌ですね。
とても、とてもお逢いしたくて早朝、箱根の山を下って長野の御代田に向かいました。その日は朝から富士山が美しく、早朝の旅を見つめていてくれました。
あれは25年ほど前のことになるでしょうか。
林道、農道、さまざまな小径に分け入り、とにかく走り続けたあの日。
秋の始まりの信州は、私の大好きな色合いをしていました。
柔らかなモスグリーン、ベージュ、柿色。
日本の秋の色彩の美しさのすべてが目に広がったのです。
そこで日本とは思えない風景がまぎれこんでいる一角に出逢いました。
それがユリさんの農場でした。
お会いした瞬間、私はこの方をずっと知っていたような気がしました。
ユリさんからのお手紙が置いてあるのをみたときは、ラブレターをもらったときよりも喜んでいる自分に気がつきます。
村田ユリさんは、知る人ぞ知る植物の研究家であり、マスコミにはお出にならないけれど、いろいろな分野の方から慕われていた方です。
ドイツをはじめ、ヨーロッパに長くいらっしゃったとのこと。
戦中、戦後の大変な時代を背筋を伸ばして生きてこられた方なのです。

何よりも日本の自然が破壊されていく過程を憂えていらっしゃいました。
あるとき、疲れ果てて夜遅くユリさんの家に着いた時があります。
そのときユリさんは、ご自分の庭で採れたハーブを木綿の袋につめ、それをお風呂に入れて「気持ちいいわよ。お入りなさい」とすすめてくれました。
こまやかな心遣いが嬉しくて、涙がでるほど感激しました。
ひたすら疲れ果て、ただただ眠りたかったのです。
私は、私たちが出会った頃のユリさんと同じ年齢になりました。
人のために自分の空間と時間をすっと人に差し出せる豊かさなど持ち合わせていません。そうなりたいと願っているのですが・・・。
寒い夜、暖炉に薪をくべ、暖かい火に一緒にあたりながら、ワインを飲んだりおしゃべりをしたり。そんな時ご近所に住む玉村豊男さん、奥さまの抄恵子さんと出会いました。豊男さんが腕を奮ってくださった料理をいただく機会にも恵まれました。
ユリさんは昼間はほとんどの時間を、長靴をはいてシャツと作業着を着て、手は土にまみれ、額に汗を光らせていました。夕方、シャワーを浴びて宮古上布か芭蕉布か、サックリした風合いの上布の襟を合わせ、背筋をのばして・・・とても美しかったです。
とてもとても、ユリさんにお逢いしたくなり、抄恵子さんにお願いしてしまいました。「おばさまのお家に連れていって」・・・と。そして、ユリさんのスケッチブックをいただいてきました。

夜は玉村さんの家に泊めていただき豊男さんの料理、そしてご自身で丹精込めて作られたワインをいただきました。
嬉しかったです。
ありがとうございました。
ユリさん、『もう一度お逢いしたいです。』