「日経新聞-あすへの話題」

海に生きる人たちを訪ね、鳥羽市の答志島に行って参りました。来週のNHKラジオ深夜便の取材です。答志島は風はあったものの、穏やかな海でした。日本列島は寒波に覆われていますが、島の優しい人達との触れ合いの旅でした。この島には「若者宿・寝屋子」とよんでいる制度が現在も残っているのです。詳しくは来週の放送後にご報告いたします。
半年間続いた日経新聞土曜日の「明日への話題」の残りを掲載いたします。正直にいって結構なプレッシャーでした。「身辺雑記でいいですから」とのお申し入れでしたが、私自身、このコラムのフアンでしたから「私にできるかしら・・・」と不安でした。しかし振り返ってみると自分の足元を改めて見つめ直す良い機会を頂くことができました。
日経新聞 第22回 11月28日掲載 「年齢というもの」
時間を見つけては書庫の整理をしている。仕事がら、読まなくてはならない本がたくさんある上、いつも本がそばにないと落ち着かない。そして本には魂がこもっている気がして捨てられない性格である。しかし収納できる冊数には限りがある。
けれど、これが遅々として進まない。おもしろそうな本を見つけると、つい読み始めてしまうからだ。懐かしさを感じる本、内容を忘れてしまった本、かつて読んだときとはまったく違う感想を抱く本。時間をおいて本に向き合うおもしろさがあることにも気がついた。高田宏さんの著書はまさに後者だ。例えば「還暦後」(清流出版)は出版された00年に読んだのだが、実際に還暦後になった今になって読むと、しみじみと実感を伴って言葉が沁みこんできて、こんな深いことが書かれていたのかと、驚いてしまう。
旅のあり方が少し変わってから2,3年になる。それまでは目的地から目的地への旅だった。仕事や用事をすませた、ほんの1~2時間でも町を散策できれば満足。子育て期間中は、長く家をあけられないという事情もあり、とんぼ帰りが当たり前だった。けれど今は、自由になる日が続いていたら、緩やかな時間の流れに身をまかせるようにその町に滞在し、その近くの、いつか行ってみたいと思っていた場所などに足を延ばしたくなる。
肉体や心の変化とともに、暮らしも、旅のあり方も、少しずつ変わる。年齢を重ねるということは、今このときをいとおしく思う気持ちが強くなることなのかもしれない。人にも、自然にも、時間に対しても丁寧に穏やかに接したいと思う気持ちが深くなっている。
日経新聞 第23回 11月5日掲載 「今、若者に伝えたいこと」
来年の4月から近畿大学に新設される「総合社会学部」で客員教授を務めさせていただくことになった。「農・食・美しい暮らし」をテーマに活動しているため、これまでお会いするのはもっぱら、農家の女性や子育て世代のお母さんたちが多かった。私も4人の子供を持つ働く母親であることもあり、出会いは公的な場であっても、互いに悩みを共有したり、個人的な友人関係に育ったご縁も少なくない。大学では、農業の現実や食の問題をテーマに、私が経験してきたことなどを伝えるとともに、我が子より若い学生さんたちと一緒に考えていく場にしたいと思っている。
私は、中学を卒業後、バス会社に就職したが、1年後にスカウトされ、女優になった。そして多くの人との出会いに導かれるように、民芸・骨董・絵画・建築などを独学で学び、その奥深さに触れると同時に、農業と食を自分の問題として考え続けてきた。机の上の学問だけではなく、現場に赴き、この目で見、耳で聞き、肌で感じながら多くのことを学んできた。高等教育を受ける機会を持つことができなかったという無念さが、私のバネになり、だからこそ向上心を持ち続け、学び続けなければならないと自分自身を励ましながら歩いてきたような気がする。
コミュニケーション力が不足した若者が増えていて、せっかく社会に出ても、心を病んでしまったりする人も少なくないと聞く。考える力としなやかな心を育てるために、人と人の絆が生まれる現場に赴くことの大切さも伝えたい。そして学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直すことができたらと、今から胸をわくわくさせている。
日経新聞 第24回 11月12日掲載 「山歩きに思う」
めっきり空気が冷たくなった。箱根の家では、毎朝1時間ほど山を歩くのだが、息の白さに、冬が来たと知らされる。寒くなったけれど、木々は葉を落とし、山道は明るくなった。これまでに何度かジムでマシン相手のウォーキングに挑戦したことがあるが、馴染めなかった。箱根で山歩きをはじめて、その理由がわかった。人工的な環境の中をただ歩くという行為は、私にとって退屈なだけでなく、大げさにいえば、私の生き方と反していたのだ。
山道の途中には、触れずにはいられない木もある。ごつごつとした木肌だが掌を押し当てると意外なほど心地よく、木が水を吸い上げる音さえ伝わってくるような気がする。数年前には、大きな木が雷に打たれた無残な姿も目にした。今は大きな切り株になったそこには、ぽっかりと空があいている。小さな木が芽吹き、太陽の熱と明るさとともに命の循環を感じさせる。貯まった落ち葉が数十センチにもなり、踏み入れた足がずんと沈む場所もある。これらの落葉は微生物たちの働きでじわじわと熱を放ち、やがてふかふかの土に帰る。土や草、風の匂いがいっそう濃くなる場所だ。
山は私の五感を研ぎ澄ましてくれる。木々の記憶を思い、遠い昔に想像が及ぶこともある。何よりひとり、山を歩いていると、自分が本来いるべきところにいるという安らぎに包まれる。だから歩くのが楽しいのだろう。山や森は豊かな命を生み育む、聖なる場所であり、私たちもまた山や森の一部なのである。けれど、残念ながら、日本の多くの山が手入れ不足で荒れている。取り返しのつかない事態になる前に、本当に大切なものを考え行動する必要があるのではないだろうか。
日経新聞 第25回 12月19日掲載 「働く女性たちに」
役職を持つ40代の女性が増えている。かつては仕事か結婚かと二者択一を迫られた女性たちがその両方を手にし、活躍している姿を見ると、いい時代になったと思う。40代は働き盛りであり、前も後ろも見渡せる年代でもある。仕事の責任は大きくなるし、親の介護など家庭の役割が増える場合もある。これからの生き方を改めて考える人も少なくないはずだ。
私にとっても、女優として演じることをやめ、農や食の問題に本気で取り組もうとしたのが、40代だった。この方向転換は予想以上に大変だった。女優という肩書きのために本気にされず、出鼻をくじかれることもしょっちゅうだった。しかし20代から農と食に関心を持ち、一生のテーマとして取り組もうと暖めてきたのだ。女優の仕事を続けるよう迫る人をも説得して、今こそターニングポイントだと、一大決心でスターとしたのだ。あきらめるなんてできない。学べるものは何でも学びたいと、手探りで多くの研究会に参加し、農村を歩きまわった。一方、家では4人の子どもたちのために、毎日5合のお米を炊いていた。
人生は順調なときばかりではない。大きな波が押し寄せ、立ちすくむこともある。もし困難に直面したら「自分がやりたいことが何か」を探り当て、それを胸に刻もう。悩みを打ち明けられる人や手伝ってもらえる人に「応援」を頼み支えてもらうのもいい。そして、とにかく「焦らずあきらめず、働き続け」、自分がやりたいことができる日に備えてほしい。辛い時期を乗り越える時は必ず来る。そしてその辛い時期をいかに過ごすかで、次に見える風景がきっと変わると思うのだ。