大晦日の停電 (日経新聞12月26日掲載分)

箱根の家に暮らすようになって数回目の大晦日の晩、我が家の電気が突然消え、闇に包まれた。停電だった。子供たちが悲鳴をあげ、私がいた囲炉裏の間に集まってきた。あわててラジオをつけ、手元にあった和蝋燭に火を灯した。和蝋燭の光は、最初は不安定なものの、やがて静謐な光を放ち始める。四隅の明かりがようやく定まったとき、ラジオのスピーカーから除夜の鐘が聞こえてきた。いつにもまして、厳粛な気持ちになった。
約25年前のことだ。以来、大晦日の晩には、家の電気を消し、和蝋燭を灯すのが我が家の習慣になった。それから私は、蝋燭の下で囲炉裏の神様に感謝を捧げ、火種に灰をかぶせる。そして日付が変わり新年を迎えると、飛騨から取り寄せた豆ガラに火を移し、「今年もマメで元気で暮らせますように、不滅の火のように頑張れますように」と願う。再び電気をつけるのはそれからだ。
こんなちょっとした不自由さが、現代の豊かさと、豊かさにより弱められてしまうある種の感受性があることを教えてくれる。過ぎし一年を振り返り、新たな年に思いをよせる大晦日に、電気ではなく蝋燭の光に包まれてきたことで、我々もまた自然の中で生かされている一生命であるという思いを深くしてきたと感じるのだ。
電気を消す。蝋燭をつける。ただそれだけで、深い闇が私たちのすぐそばにあることを、そして炎が暖かく、原始的な安心感を呼び覚ましてくれることを感じ取ることができる。自然への畏怖と文明への感謝の念も沸く。1年に1度くらい、電気を消す日を持ってはみてはどうだろうか。
良き新年をお迎えくださいませ。

「大晦日の停電 (日経新聞12月26日掲載分)」への1件のフィードバック

  1. 日経の連載 お疲れ様でした。
    大晦日の停電の記事 拙ブログでも紹介いたしました。ご披見ください。
    ・・・・食の研究家でエッセイスト 元女優の浜美枝氏が面白い事を書いておられた。箱根に自宅を構えて数年後の子供が未だ小さかった時、大晦日の夜突然前触れ無く停電したそうだ。明るい暮らしに慣れ親しんだ子供たちは悲鳴をあげ母親の傍に集まった。彼女は蝋燭を探し出し点し 皆の目が蝋燭のほのかな明かりに馴染んできた時 『昔は皆こういう明かりの中で夜を過ごしたのよ』今の生活の利便を当たり前の様に考える事を子供たちに戒め教えた。その後浜美枝家の大晦日は、電気を消して蝋燭を点して、古風昔流にお正月を迎える習わしになったそうだ
    電気・ガス・水道 スイッチや栓をひねりさえすればほぼ無尽蔵に出てくる・使える こういう時代蝋燭を点して今の世の有り難さを再確認する為 電気消しての迎春のお勧めの一文である。
    似たような事を考え付く人が世の中には居る。

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