「日経新聞-あすへの話題」

日経新聞 第19回 11月7日掲載 「テレビドラマ雑感」
箱根の家では、夜、音楽を聴くことが多い。クラシックからジャズまで、そのとき自分が求めているものをCDラックから取り出しては聴いている。音楽を聴きながら、ゆっくり本を開くこともある。
夜、テレビドラマをほとんど見なくなってからどのくらいになるだろう。テレビCMの対象が個人視聴率の集計区分でF1層と呼ばれる女性20~34歳、M1層と呼ばれる男性20~34歳向きのものが多く、それゆえテレビに若者向け番組が多いという事情はわからないではない。けれど、大人が待ち遠しいと思えるドラマが少ないのはさびしいと、ずっと思っていた。
だが、今年になってちょっと変化が起きた。夜、テレビの前にときどき座るようになったのだ。フジテレビ開局50周年記念ドラマ「不毛地帯」がおもしろい。もう終了したがTBS「日曜劇場 官僚たちの夏」も見ごたえがあった。どちらも生きること、働くこと、国家や組織と人など、大きなテーマを持つ大作だ。同時に、理想と現実の間で悩み、挫折を繰り返しつつ、厳しい時代を必死で生きた先人の姿が胸をうつ。私の周りではこれらのドラマの話題で盛り上がることもある。
このことだけをとりあげ、結論づけるのは気が早いかもしれない。が、こうした鮮烈な生き様のドラマが多くの人々に歓迎されているということは、閉塞した状況を打ち破りたいという現代の思いを彼らの姿に重ねようとしているからではないか。そうした人々のエネルギーが集まり熟成されれば何かがきっと変わる。変えることができる。とすれば今は変革の前夜、過渡的な時代といっていいのではないか。そんな風に考えるのは、飛躍し過ぎだろうか。
日経新聞 第20回 11月14日掲載 「百年の村づくり」
食べ物には、美味という表現だけではおさまらないものがある。私にとって、鳥取・香取村の「香取村ミルクプラント のむヨーグルト」は、そんな飲み物のひとつだ。搾り立ての新鮮な生乳を7時間以内に加工し、長時間低温殺菌処理を施して作られるヨーグルトなのだが、口に含むと、大山の上に広がる青空、吹き渡る風、そして人々の笑顔がふっと浮かび、心身がす~っと浄化されるような気がする。
香取村は、中国から引き揚げてきた第8次樺林開拓団を中心にした「香取開拓団」(現在は「香取開拓農業協同組合」)が昭和21年、入植して作り上げた村だ。香川県出身者による開拓村であったため、香川県の「香」と鳥取県の「取」をとって香取村と名づけたといわれる。その団長を務めていらした三好武男さんと以前、お会いしたことがある。「香取の村づくりは、百年計画。三世代かけての大事業です。金やものを追うのではなく、人間中心の、まっとうで、喜びのある社会を取り戻さないと。村づくりは精神の開拓でもあるんです」
  
その信念の元、未開の山林原野を切り開き、約60年かけて畑作畜産大型酪農業の村を作り上げた。今、霊峰・大山の高原にヨーロッパを思わせる牧場が広がる。「まだ村づくりは折り返したばかり」とおっしゃっていた三好さんは05年95歳で亡くなられたが、2代目、3代目の人々が後を継いで、村の歴史を紡ぎ続けている。
村づくり、国づくりに必要なものは、こうした百年の計画、それを支えるヴィジョン、信念ではないだろうか。「自分達が死んでもいつまでも実をつけるように」と三好さんたちが植えた香取村のくるみや梅などの苗木は今、大木にと育っている。
日経新聞 第21回 11月21日掲載 「伝統野菜の復権」
全国にはそれぞれの気候風土に適し、代々受け継がれてきた伝統野菜がある。それら伝統野菜を売り出し、地域農業を活性化しようとする動きが高まっている。
以前、2度ほどイタリアの「食の祭典 サローネ・デル・グスト」に参加したことがある。「アモーレ、カンターレ、マンジョーレ(愛そう、歌おう、食べよう)」の国イタリアでもこの30年間に150種類ものチーズが姿を消したといわれる。スローフード運動も食の祭典も、伝統の食が消えることに危機を感じたことから生まれた。
食の祭典にはイタリア各地から集められたチーズ、ハム・ソーセージ、オリーブオイル、野菜、果物、パスタなどが一堂に会する。けれど、ただのお祭りではない。消費者はブース巡りやワークショップを通して生産者を知り、様々な味に出会い、「おいしくやさしく公正な」という観点から自らの味覚を鍛え磨く。この祭典には「食品購入の際に質の高い食品に働きかけ、良い方向へ導き、支えることができる消費者=共生産者」を増やすという明確な目的もあるのだ。
私もこれまで食アメニティ・コンテストなどを通じて、伝統食・伝統野菜を伝える活動を続けてきた。個人的に三浦大根のサポーターもかって出たりもしている。スーパーに並ぶのは病気に強く、大きさの手ごろな青首大根ばかり。そこで私は煮崩れしにくく、大根本来のほろ苦さも味わえる三浦大根は農家から直接取り寄せているのだ。大根ひとつとってもこのような状況である。日本の農を守り、食のバラエティを保つために、イタリアと同様、公正な観点を持ち、味覚に優れた消費者を地道に育てていく場が必要ではないだろうか。