「日経新聞-あすへの話題」

第6回・8月8日掲載 「この汗をみてごらん」
          
人との出会いやすぐれた芸術がきっかけとなり、人生が変わることがある。私にとってマルチェロ・マストロヤンニ氏とゴッホの「馬鈴薯(ばれいしょ)を食べる人びと」の出会いがまさにそうだった。
16歳で女優デビューしたものの、私はずっと居心地の悪さを感じていた。基礎もなく演技することに、不安を感じた。人気という不確かなものにも、怖さを覚えた。私がしたいのは汗をかき、人の役に立つ仕事だという思いを拭いさることができなかった。
女優を辞めようと思い、その区切りにと、18歳で私はひとり旅に出た。イタリアへ。そして大好きだったマストロヤンニ氏の舞台を女優時代の思い出にしようと連日、劇場に通いはじめた。ある日、舞台を終えたばかりの彼にお会いする機会をえた。私が日本で女優をしていると知ると、汗びっしょりの自分の顔を指差してこういった。「この汗を見てごらん。この汗は、お客様が喜んでくれた汗だよ」 このひとことで私の目からウロコが落ちたのだ。十分な努力もせずに女優に見切りをつけようとした自分の傲慢さにも気づかされた。
旅の帰りに立ち寄ったオランダの美術館でゴッホの「馬鈴薯を食べる人びと」に出会った。自らが作った作物を、家族とともに食す喜びが静かに伝わる絵を見つめているうちに、もう少し、がんばってみようという気持ちが確信に変わった。40数年が過ぎても思い出が鮮やかさを失わないのは、それが私の原点だからだろう。
そして思う。マストロヤンニ氏のように若い人たちに何気なく、しかし力強い言葉で真摯に働くことの大切さと喜びを伝えられる大人に私はなれただろうか、と。
第7回・8月15日掲載 「大人の街・銀座」
灼熱の太陽に照らされ白く抜けていた町に色が戻りはじめる夏の夕暮れ。けれど、黄みを帯びた光に包まれはじめた建物からは、日中、蓄えられた熱がゆらゆら放出されているようで、やはり普段の町とはどこか表情が異なっている。時計の針の動きが遅くなり、人の声がことさら遠くに聞こえるような……。
仕事が思ったよりも早く終わったそんな黄昏時、銀座の「テンダー」に立ち寄った。テンダーは名バーテンダー・上田和男さんのバーで、彼のスピリットが隅々まで感じられる。清潔で、嫌味のない重厚さがあり、女性ひとりでも居心地がいい。
以前の私の誕生日に上田さんが創作してくださったオリジナルカクテル「マダム浜」をいただきながら、ふと銀座で始めてお酒をいただいた若き日を思い出した。絵のモデルをしたご縁で、画家・岩田専太郎先生が、文化人が集まるバーに連れて行ってくださったのだった。
静かにジャズが流れる店内。大人の男たちがウイスキーを傾けながら、くつろいだ表情で談笑していた。集う人への敬意とそれぞれの美意識が感じられるダンディな空間だった。「この娘に合うものを何か作ってあげてください」と先生はいい、黒服のバーテンダーは私に甘くて薄いカクテルを作ってくれたのだった。そして先生は9時になると「僕はもう少しいるけれど、君はもう帰りなさい」とタクシーを呼んでくださった。20歳のときのことだ。
スイカのリキュールをベースにした柔らかな香りと美しいピンク色が特徴のマダム浜をゆっくり味わいながら、銀座の洗練と豊かさを思った。あの店は今も、あるのだろうか。
第8回・8月22日掲載 「ラジオの可能性」
ラジオのパーソナリティを務めるようになって、かれこれ30年ほどになる。文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)もスタートしてから約15年になった。先日は、仲代達矢さんに著書「老化も進化 」を中心に、妻であり同士でもあった宮崎恭子さんの思い出や人生の真っ赤な秋を真っ赤に生きようとしていることなど伺った。若い人を育てることに情熱を燃やし、俳優として人間としてひたむきに歩み続ける仲代達矢さん。その生き方に励まされるのは私だけではないはずだ(23日、30日放送予定)。
このごろ、私の周りでラジオ・ファンが少しずつ増えている。メディアが多様化、多極化する中にあって、ラジオは送り手と受け手との距離がとびきり近いからだろう。私はNHKラジオ深夜便で「大人の旅ガイド」コーナーも担当させていただいているのだが、お話しながら、ラジオに耳を傾けてくださっているリスナーの姿が不思議なくらいくっきりと目にうかぶ。
ネット社会になり、上司と部下がメールですべてのやりとりをし、人の声が消えた会社もあるという。メールは便利だが、生のコミュニケーションには存在する温もりは抜けてしまいがちだ。ラジオへの回帰は、その人肌のコミュニケーションが再評価されてのことなのかもしれない。
今、若者のコミュニケーション・スキルの不足が問題になっている。ラジオの一ファンとして、ラジオというメディアは聞き手のコミュニケーション・スキルを磨いてくれるものではないかと、思ったりもする。声と言葉から聞き手が自由に想像力を羽ばたかせる……こんなに風通しがよく、自由なメディアは他にはない。
第9回・8月29日掲載 「米作りと食の問題」
       
農に関わる者として、米作りの実際を知りたいという一心から、10年間に渡り、福井県の若狭に田んぼをお借りして、無農薬の米作りを体験したことがある。
過疎化、老齢化、後継者不足……日本の農業は多くの深刻な問題を抱えている。このたびの選挙で、減反による生産調整に対するいろいろな考え方をはじめ、土地の集約や経営の大規模化を促し農業の合理化を進めようとするもの、あるいは日本の農家の過半を占める兼業農家や小規模経営の零細農家に配慮したものなど、各政党はさまざまなマニフェストを表明した。
けれど忘れていけないことがある。米作りとは米を作る、ただそれだけではないということだ。私は米作りを通して、田んぼが環境を保全すること、集落の共同体が米を中心に作り上げられてきたことなど、多くのことを肌で学ばせていただいた。わが国は瑞穂の国であり、米作りがすべての文化の基本となっているのである。米作りを数字だけで考えては、取り返しのつかないことになる。ましてや政争の道具になどしてはならない。
一方、世界に目をはせれば、すでに世界の穀物消費が生産量を超え、穀物輸出の制限や禁止をする国もでてきている。食料の争奪戦も始まっている。そしてわが国は依然として食料自給率がカロリーベースで約4割という危うい状況にある。
「21世紀は食糧を自給できない国から滅びる」という作家・住井すゑさんの言葉が重く感じられるのは私だけではないだろう。生産者・消費者が共に、50年先の日本の農業、そして食料を、文化まで含めて考えなくてはならないのではないだろうか。傍観はもはや許されないと思う。

「「日経新聞-あすへの話題」」への2件のフィードバック

  1. おはようございます。
    初めてお訪ねします。
    「北鎌倉のブログ仲間」の方が紹介されていましたので・・・・。
    女優をされていたころから・古民家の取りくも・・・・執筆も・・・
    折々に興味を惹かれました。
    今回「農のこと・」・・・今私の関心事です。
    素人の畑仕事ですが、野菜などつくりをしながら考えることです。
    「農」をしっかりできない指導者は先が見えない・・・・
    思っている昨今です。
    作陶をしながら「農」にも。
    親たちは百姓でした。
    少ない土地を大事にしたい・・・
    だらだらとすみません。

  2. ブログへの投稿ありがとうございます。中学の時に出会った民藝運動の創始者・柳宗悦に導かれるように、日本の農山漁村を歩いてまいりました。伺った農村で、現場の現実を知るようになり、この日本は”農の国”であると実感しました。その”農”が大きく揺れています。日経新聞のコラムにも書きましたが、これは他人事ではありませんね。皆んなで問題を共有していきたいものです。これからもブログを覗いてください。

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