若狭路

若狭路を旅してまいりました。
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福井県大飯町三森に、私の家があります。
この家も取り壊される寸前に出くわし、譲っていただいたものです。
この家は別の場所にあったのですが、最初に借りた土地が、私の理想の立地だったんです。背後に竹林、前に田んぼと佐分利川。だから、家の方をこちらの土地によいしょ、よいしょと運んでもらいました。そうしたら、私が夢に描いた”日本の農家”が出現したというわけなんです。
浜さんはなぜ、農業や農家に感心があるのですか、という質問をたくさん頂きます。
最初は国土庁(現在は農林水産省)「農村アメニティー・コンテスト」、現在は「美の里づくりコンテスト」の審査委員を20年近くしております。
このコンテストは農村という限られた範囲だけを対象とするものではなく、この国の未来をも問う意味合いがあるんです。農業は食と、食は生命と結ばれています。農業のありようが、そこに住む人間に快適環境を与えているかを、問う審査なんです。
快適であるための基盤整備などハード面だけでなく、そこに生きる人々の生きるエネルギーのありようも含めて、つまりはその姿をアメニティーといいます。そのような政府の仕事にかかわる中で、私自身が大いに触発され、勉強しながら、自分なりにできることから始めてみようとしました。
若狭・三森の家、ここで、まず、米を作ろう、そう決心しました。
「10年はやってみよう」
凝り性の私ですから、米作りは地元のベテラン専業農家の松井栄治さんのおかげで、素人の私も田植えから収穫までの農業を知ることができました。土と水と苗、それを支配する天候。見守る人間。こういう営みの繰り返しで人類は生き延びてきたことを思うと、やはり田植えは神聖な行事だなぁと思います。
(現在は松井さんご夫妻におまかせ・・。ブランド名は「浜美枝のひとめぼれ」)
なぜ、若狭だったのか・・・。
初めはもちろん旅人としてここを訪れました。
2、3度目だったか、小浜の冬の市場に行ったことがありました。日本海の魚のおいしさに感動し、その時いただいたお酒が「濱小町」という銘柄だったんです。(残念ながら現在は造られていません)
あ、これは私のお酒、自分の酒、つまり自酒。
そのお酒とあらゆる魚の美味にうたれて、すっかり若狭フアンになったのが、最初だったと思います。若狭の新鮮な魚はもちろん美味しいのですが、この地の魚加工の歴史と技術は日本一だと思います。
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若狭は京都の台所でもあります。一塩に加工されたカレイやカマスなど絶品です。鯖街道もありました。今回も市場で魚や若狭カレイの干物などを我が家に送り、私は市場の食堂で早朝、焼きさば定食(900円)を食べました。
旅から始まり、食に感動し、そして家にたどりつき、田んぼまで。
私の旅はこうして農業にたどりついたのです。
ちょうど、そのころ農村のお母さんたちとヨーロッパの農村を訪ねる旅にでていました。そこで視察したのは、農村女性たちによる”グリーンツーリズム”でした。
都会に住む人に農村でゆっくり休暇をとってもらい、農家は現金収入を得る。EU諸国は各国とも、”グリーンツーリズム”を提唱しています。20年ほど前のことです。
私も農家のミセスたちともそんなことを話しておりました。
ようやく、世の中はファーマーズ・マーケット、農家レストラン、農家民宿へと感心がよせられる時代になり良かった!・・と思います。
片道七時間はかかる若狭までの道のりを、なんの苦もなくせっせと通っていた時代。
やっぱり若かった・・・のですね。
御食国(みけつくに)小浜は「とらふぐ王国」、昨日からズワイガニが解禁になり、浜焼きさば・鯖寿司・冬の若狭かき・・・と美味満載。
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奈良東大寺二月堂のご本尊にお供えする”お水送り”国宝めぐりも素晴らしいです。
今回の旅で私は、真言宗御室派・「明通寺」にお参りしてまいりました。静寂な中、ひとり静かに本堂でお坊さまのご説明を受けました。ゆずり木を切って、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体。国宝建造物の中はまさに旅の醍醐味を味わう空間でもありました。
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帰りは小浜線に乗り家路つきました。