柳青める日の築地散歩

都会の隅田川沿いにかつて仕事場があったせいでしょうか、たまに築地界隈を散歩したくなります。ゴールデンウイークのある日、周辺を散歩しました。お休みの日は静かでお散歩には最適です。

この頃思うのですが、都会であっても、ちょっとした空間に花や木など緑がずい分豊かになったと思いませんか。地下鉄の階段を上がったところなど小さなスペースながら花がキレイに寄せ植えされていたり・・・。住宅の庭や軒先、商店の傍ら、幼稚園の園庭、小学校の庭にも。五月の光のまばゆさが緑に照りかえして、本当にキレイです。
この季節、この時節、不況のさなかにあって、失業中の方々や会社が困難な事態に陥っていらっしゃる方もおられる昨今、あふれるばかりの陽射しや花々は沈みがちな方々の気持ちをいくらかでも安らかにしてくれるかもしれません。
植物は人間なしでも生きてきました。もちろん丹精込めて、人に作られたものも多いのですが、彼らの多くはひとりで生命を永らえてきました。ひるがえって、人間は果たして、緑や花などなくても生きていけるでしょうか。これは絶対にありえません。有史以来、人間は植物なしで生きてこられたためしはないのです。樹木の恩恵のもとに私たちは生かされているわけです。
光さんさんの中、緑が豊かに生い茂る木の下を歩くのは本当に気持ちのよいことです。
築地界隈は近年、大きな変貌を遂げています。
明石町小学校の跡地にはマンションが建っていました。その入り口に、なんとガス燈が!明治の名残が一燈だけ残されていました。記念碑のように立っているそのガス燈は、東京市の銀座れんが街の完成を機に芝・浜崎町にガス製造所が設けられ、京橋から金杉橋にガス燈85基が設置されたのが東京での始まりだそうです。

それ以前、横浜の居留地では明治五年にガス燈が灯っています。明石町小学校跡地に当時のガス燈が一基残されておりました。高さ三・四メートルの鋳鉄製。西洋の香りがするデザインです。近くには当時の建築様式の教会など。今から百三十年以上も前のこと。
現代は、みんな見える明るさが求められますが、かつては見えないことも「見える」ことのニュアンスが含まれていたのではないでしょうか。闇、ほのぐらさ、手さぐり、ぼんやり、おぼろ、・・・明治から平成へ。明るさと暗さの間にある情緒も大きく変化し、人間の心の機微も少なからず当時とは違ってきていると思います。
ガス燈といえば、霧のロンドンを舞台にした名画「ガス燈」。
私は名画座で昔みたのですが、1944年の映画でした。なんと私の生まれた翌年の映画。自分でいうのもイヤですが、ずいぶん昔の映画ですね。それにしてもイングリット・バーグマンの美しさにはため息がでました。
気持ちよい風にふかれて、築地市場へ。

子どもが幼かった頃、お正月のおせちの食材を抱えきれないほど持って箱根の我が家に帰ってきましたっけ。お昼は市場の中の”てんぷらや”さんで「かきあげ丼」。
帰りはある歌を口ずさんでいました。
柳 青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
誰を待つ心 可愛いガラス窓
かすむは 春の青空か
あの屋根は輝く 聖路加か
はるかに 朝の虹もでた
誰を待つ心 淡き夢の町東京
「夢淡き東京」 この曲は昭和21年
作詞/サトウハチロー
編曲/古関裕而作
歌/藤山一郎
隅田川べりは遊歩道が完備されています。川の流れをゆりかもめがかすめる季節。そして、びっくり・・・。銀座にはもっとたくさんの柳が残っていると思っていたのですが、ハナミズキや他、華やかな木々に変わっているのですね。

でも西銀座通りは柳並木が。

5月5日は「銀座柳まつり」が開催されます。五月、川の流れさえ淡き町、東京です。