箱根のコメザクラ

箱根の山々のコメザクラが満開になり、可愛らしい花は恥ずかしそうに下を向いて咲いているのです。早朝の山歩きでこの1週間存分に楽しませてもらいました。
今日の雨で散ってしまうのでしょうね。
満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがよくあるんです。
「何故そんなことを思うのかしら、不思議ですね」と、以前、作家の水上勉先生にお話すると、先生は、「桜は、散ってさくからね。生命が長いと思わせますね。春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのじゃないかなぁ。散るはかなさではなく、散ってまた咲くことに、憧れるんですよ」とおっしゃいました。
花の命ははかなくて・・・などという言葉もありますが、たしかに人間の生命のほうがずっとはかない。桜の花は毎年春が来れば必ず生き返って咲きます。「散る」とは「咲く」こと。樹齢何百年という木々の桜が花を満開に咲き誇らせている姿に、私たちは生命の永遠を感じ、そのことに深く安堵するのでしょうね。
岐阜と富山の県境にある御母衣ダム。いまから40年ほど前に、庄川上流の山あいの静かな村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖底に沈むことになったのです。350戸にも及ぶ人々の家や、小・中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命にある中で、樹齢400年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせ続けることをゆるされたのでした。
桜へのひたむきな思いによって荘川桜の移植を成功させた男たちの姿を水上先生は、小説「櫻守」にかかれました。
そして私がはじめて御母衣ダムに荘川桜を見にいったのは、いまから30年ほど前、移植されてからすでに何年か経った春のことでした。
湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。ああこれがあの桜・・・と。
樹齢400年の老桜とは思えないほど花が初々しかったのが、とても印象的でした。
毎年4月25日頃から5月10日ころまで、庄川桜の壮麗に咲き誇る姿は、その木の秘められた歴史を知るものには格別感動的です。
ふるさとは水底となり移り来し この老桜咲けとこしえに
                            高碕達之助
花が美しければ美しいほど、一方でとても哀しくなるのです。
私が行ったときも、満開の桜の木の下でじっと座り続けているおばあちゃんを見かけました。
あの時、おばあちゃんは先祖が育てた木をみながら、桜の木を相手に、村の思い出話を語り合っていたのかもしれません。