広島のこと

夏の照りつける太陽の中、8月末広島を訪ねました。
“広島市民文化大学”のお招きを頂きました。
昭和18年生まれの私にとって、広島、長崎は特別な場所です。
当日は広島記念公園内の広島国際会議場フェニックスホールで1500名の方々が待っていてくださいました。
思わずこんな言葉からお話をさせて頂きました。
本日、こちらに着きまして、気がついたら、空を見上げておりました。私は、この地、広島に、夏にお伺いすると、夏空を見上げずにはいられないんです。
まぁるく広がる青い空、もくもくと浮かんだ入道雲。そしてその下に広がる家並み、ビル。人々の活気あふれる表情。
そうした風景を目に焼きつけ、安堵すると同時に、62年前のことを思わずにいられません。時を経ても、決して風化することのない痛みを、この土地は経験してきたからです。
私は今、63歳です。終戦のときは1歳。戦争の記憶をたどるには幼すぎる年齢です。でも、なぜか強烈に覚えているというか、私の心に戦争の悲惨さが深く刻まれているのは、おそらく次のような体験を経ているからでしょう。
終戦の年の3月、東京は東京大空襲にあいました。我が家は、その空襲に襲われたまさに、下町にありました。私の家では、ダンボール工場を営んでいたのですが、すべてを失いました。家も、道具も、わずかな写真も、一つ残らず灰になってしまったのです。
 
でも、空襲の前日に、我が家は親戚の家に疎開して、家族の命が助かりました。下町では大勢の人がなくなったというのに、我が家は全員、無事だったんです。
物心ついたころから、母や祖母から、その話を何度も何度も繰り返し聞かされました。また、「私たちの命は、もらった命よ」と、母はことあるごとに、私たち子供にいってきかせてくれました。
祖母も「なくなった人たちに申し訳ない」と繰り返していました。
 
そのためでしょうか。私が実際に経験したわけではないのに、下町の空襲や近所の人々との永遠の別れのことまで、まるで見てきたことのように記憶されてしまったのです。
 
そしてここ、広島の土地に立つと、私も母や祖母と同じことを思わずにはいられません。自分の命がもらった命である、と。そして、自分の胸に問わずにはいられません。亡くなった多くの人たちに申し訳ないと思うような生き方をしてはいないか、と。


本日のテーマ「逢えてよかった」をいただきましたとき、広島という土地の歴史、そして私のこうした体験をとっさに思い出しました。生きているということのありがたさ、あやうさ、確かさ。
そして、そうしたかけがえのない人と人とが出会うすばらしさについて、これからお話させていただこうと思います。
“逢えてよかった”
私はこの言葉が大好きです。
この言葉を教えてくれたのは、当時五才の少年でした。
富山の夏は身も心も緑に染まりそうな程、緑したたる山々であり平野です。野の道にひまわりが燃え、畑の端にケイトウの赤が暑さをあおり立てておりました。
春夏秋冬、すべての季節に富山を訪ねておりますが、夏は特別です。何処よりも深い緑に底知れない休息があるような気がするからです。山の緑の深さは、私が住む箱根の比ではありません。
たっぷりとした緑の里は水も豊か、そして人情も豊か。
その豊潤さが、私を何度も富山へ富山にかよわせるのです。
さて、”逢えてよかった”はこのようなことです。
富山の友人ご夫妻の寺の食卓の会話です。
まだ、お子さんが小さかった頃。
食卓でごはんを食べているとき、五歳の坊やが聞きました。
この中でいちばん先に生まれたのだあれ
おじいちゃん
その次は?
おばあちゃんよ
その次は?
お父さんよ
その次は?
お母さんよ
その次は?
お姉さんよ
その次は?
お兄ちゃんよ
五歳の坊やは期待に目を輝かせて
その次は?
ボクよ
友人の奥さんがそこまで答えてあげると、坊やはちゃわんとお箸を持って、不思議そうな顔をしてみんなの顔を見回したそうです。
そして、みんな生まれたね
と、言いました。
友人はショックと同時に感動したそうです。
そのとき、奥さんが答えたそうです。
“みんな逢えてよかったね”
私はこの話を聞き、心からなるほどそうだ、と思いました。
逢えてよかったというのは、出会いの根源です。
五歳の坊やの無垢の目は、この真実を見透したのでしょうか。
“逢えてよかった”、という言葉はそれ以来、私の好きな言葉になりました。
家族、夫と妻、親と子、友達、お隣さんなどみんなずーと知らない世界から何かがご縁で知り合えて、今日に至っていることを思うと本当に不思議な思いにとらわれます。大切にしなければと心から思います。
「逢えてよかった」をテーマに、人に出逢う・・・
仕事であろうがなかろうが、私はこれがとても好き。今までお会いしたひとから多くのことを教えられ、そこから人の深遠をたずね、好奇心は際限なく募るばかりです。
出会ったかたから多くの心もいただきました。実際、学校というのはいたるところにあり、田んぼで腰の曲がったおじいちゃんに、日本のいたるところに、日本の農業の行く末を聞き、海辺で綱をつくろうおばあちゃんに港の歴史を聞き、山また山の奥の木地師の古老に山の掟を学び、日本のいたるところに師がいることを知りました。
中学で出会った民藝の柳宗悦、写真家の土門拳先生からは「本物に出会う」こと
人間国宝で読谷村の花織を見事に復元なさった与那嶺貞さん・・・他。
「束ねてひといろ」ではなく、地方の至るところで良き文化を必死で守っていらっしゃる。日本の良心とは、きっとこういう人たちの心をいうのでしょうね。
広島の夏空を見上げながら、心から平和を祈った一日でした。