隣国で出会った「用の美」

韓国の友人が新聞の切り抜き記事とその翻訳を送ってくれたのがきっかけで、この2月末、私はソウルを訪ねた。
それはイルミン美術館で「文化的記憶 柳宗悦が発見した朝鮮と日本」展が同月まで会期延長され、非常に盛況であると伝えるもので、私はそれを読むなり、飛行機に飛び乗ってしまったのだ。
柳宗悦(1889~1961)は、暮らしの中で使われてきた民器の中に「用の美」を見いだした民芸運動の創始者である。無名の人が作る道具や工芸品の中にも美しさがあることを発見し、日本の近代工芸の発展に大きな功績を残した。私は、中学生のときに柳の本と出会い、その考え方に心奪われた。私が約30年間にわたって古民家を再生した箱根の家での暮らしを楽しんでいるのも柳との出会いがあったからだろうと思う。
柳はまた、日韓併合下の朝鮮で、焼き物と出会い、その美を見いだし、人々や芸術を強く擁護した。柳が朝鮮の美を「悲哀の美」と表現したことが見下す意識からだと問題提起されたこともあったが、この会場で私は胸が熱くなるのを覚えた。
東京・駒場にある日本民芸館の協力のもと、朝鮮の陶磁器だけでなく、生活に密着した美しい朝鮮と日本の民芸品、民芸運動を進めたバーナード・リーチや富本憲吉、棟方志功などの作品が一堂に展示されていた。すべての作品に温かな人のぬくもりと、力強さが感じられた。そして「これほど大切に保たれているとは」「こうして里帰りするなんて素晴らしい」と、集った人々が口々に語るのを、この耳で聞くことができたのだった。
美は、ひと握りの選ばれた人たちだけのものではない、と柳宗悦は私たちに語りかける。感覚を研ぎ澄ませれば、誰もが本物の美しさに出会えるのだ、と。柳に出会った幸せを感じると共に、彼の足跡を追ううちに、私もまた美を求めて旅をせずにはいられなくなってしまったことに気がついた。
美の懐の深さ、温かさだけでなく、現場に赴き発見する喜びをも、柳は私に教えてくれたのだろうと思う。
(朝日新聞4月4日掲載)